東京地方裁判所 平成2年(ワ)16463号 判決 1992年2月27日
原告
栗原昇作
右訴訟代理人弁護士
小川英長
同
梅沢良雄
被告
甲野春子
右法定代理人後見人
磯辺和男
右訴訟代理人弁護士
岩原武司
右訴訟復代理人弁護士
清水肇
同
大山健児
同
鈴木政俊
同
津田和彦
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金六一三六万九七九五円を支払え。
2 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告の亡父である栗原多造は、被告の亡父である栗原源充の兄であり、原告と被告とは、従姉弟の間柄にある。また、亡栗原浪吉は、栗原源充の長男であり、被告の兄に当たる間柄であった。
2 栗原浪吉が昭和五八年一一月二八日死亡したため、法定相続人である妻の栗原シゲと被告が栗原浪吉の遺産を相続し、被告は、右遺産の換金後六一三六万九七九五円を取得した。
3 原告と被告との間で、平成元年一一月二四日、被告が原告に対し、栗原浪吉の相続により取得した六一三六万九七九五円を贈与する旨の契約を締結した(以下「本件贈与契約」という。)。
4 よって、原告は、被告に対し、本件贈与契約に基づき、六一三六万九七九五円の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1及び2の事実は認める。
2 同3の事実は否認する。
3 同4は争う。
三 抗弁
(意思無能力)
1 被告は、昭和六一年一月から、浴風会病院内科において、老人性健忘症の治療を受けていたが、改善が認められなかったので、同六二年一月から平成二年一二月ころまで同病院精神科に転科し、治療を継続していたところ、記憶障害、見当識障害、状況に対する認識障害、夜間せん妄等の症状が認められため、原告の申立てにより、同三年五月二〇日、東京家庭裁判所において、禁治産宣告を受けるに至った。
2 本件贈与契約が締結された平成元年一一月二四日は、すでに被告が浴風会病院精神科に通院していた時期であり、被告は、意思能力を欠く状態であった。
四 抗弁に対する認否
抗弁事実のうち、被告が禁治産宣告を受けたことは認めるが、その余は否認する。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因について
1 請求原因1(原、被告間の身分関係)及び同2(被告が栗原浪吉の遺産を相続したこと)の各事実は、当事者間に争いがない。
2 証拠(<書証番号略>及び原告本人)によれば、明治三五年に被告の父である栗原源充が栗原呉服店を創業したこと、その際、原告の祖父栗原喜三郎と父の栗原多造が当時としては多額の金銭を援助をしたこと、戦前は、本家、分家間で行き来があり、戦中は被告一家が栗原呉服店に疎開した際、原告が食料品を持って訪ねて行ったことがあり、戦後は、原告が一、二回被告の家に遊びに行ったことがあること、栗原浪吉の死期が迫っていたころ、被告から原告にその子か孫を養子にしたい旨の申し出があったこととの各事実を認めることができる。
3 そこで、本件贈与契約の成否について検討する。
<書証番号略>及び原告本人尋問の結果と前記2の事実とを合わせ考えれば、平成元年一一月二四日、原、被告間で本件贈与契約が締結されたとの事実を認めることができる。
4 もっとも、証人木内二朗の証言によれば、平成元年一一月二四日の数日後、同人が被告に甲一号証の贈与契約について問い合わせたところ、贈与の事実はないとの回答を得たことが認められ、また、甲九号証(乙二号証と同じ)によれば、被告自身が後刻本件贈与の意思がなかったとの文書を原告に送付しているとの事実を認めることができるが、前記2、3で認定の事実に照らして考えると、右事実をもってしても、原、被告間の贈与契約の成立を覆すに十分ということはできない。
二 抗弁について
1 <書証番号略>及び証人木内二朗の証言によれば、本件贈与契約の話があったころ、証人木内二朗が被告と電話でやりとりをしていた際、被告の記憶があいまいで既に健忘症状が現れていると感じたこと、右当時、被告は、物忘れがひどく、辻褄の合わないことをたびたび言う状態にあったことを認めることができる。
2 また、<書証番号略>証及び証人菱村将隆の証言によれば、証人菱村将隆は、昭和五八年から同六四年まで浴風会病院に勤務し、同六二年一月二〇日ころから被告を診療していたこと、同人は、東京家庭裁判所平成二年(家)第一二四六号禁治産宣告審判事件の鑑定人に選任され、被告の精神鑑定を行ったこと、右鑑定を行った際、被告には頭部に染みだし現象(PVL)と称される異常所見が認められ、血管性痴呆の症状と診断されたこと、平成元年ころの被告の症状は、記憶力が落ち、一貫性がなく、その場限りのごまかしが多かったこと、同年一一月ころ、被告は、時間、人、場所がわからなくなる失当見識、記憶力障害、状況認知障害が認められ、中等度の痴呆の状態であったこと、右症状の下では、「贈与」という言葉の意味を断片的に理解できても、先祖の供養をする代わりに財産を贈与するなどの取引条件の様な論理的判断はかなり困難であり、また、先祖の供養をするといっても、その言葉を現実的、計画的に理解することは困難であったこと、結局、被告の鑑定段階での知能は、田中・ビネー式で八才二か月程度と推認されたことなどから、同二年五月三一日付をもって、被告は、生活全般にわたって介護を要する状態であり、現時点においては高度な心身耗弱状態と判断でき、将来的には痴呆症状の増悪の可能性が十二分に考えられるとの鑑定結果が出されたこと、右鑑定時点と甲一号証が作成された平成元年一一月二四日の時点とを比較しても、精神の働き、痴呆の程度では顕著な差異は認められず、中等度の痴呆状態であったこととの各事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
3 以上の事実に、被告が平成三年五月二〇日禁治産宣告を受けているとの事実を合わせ考えれば、被告は、本件贈与契約の締結された平成元年一一月二四日当時、自己の行為の結果を弁識するに足りるだけの精神能力を具備しておらず、意思能力を欠いていたものと推認することができるから、被告の抗弁は採用できる。
三結論
以上によれば、原告の本件請求は、理由がないことに帰するから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官秋山壽延)